配膳ロボットからテクノロジーと人間の関係を考察してみる

昨年末に某飲食店で一人で晩飯を食べることがあってそこで初めて配膳ロボットの実物を見た。

意外と違和感ないなという印象。配膳ロボットの上部にネコの顔が映し出されていて、まあかわいいんだよね。無機質になり過ぎないように工夫されているなと感心してしまった。

でもね、俺は正直に言ってしまうとサービス業はあまりにも機械化、ロボット化されてしまうのはよくないのではないかと思っている。

だってさ、例えばすごくいいなと思う女性がいてその人とご飯を食べに行くとする。窓から見える景色はいい感じで料理も美味しい、お店の内装も凝っていてオシャレ感がものすごく出ている高級店と呼ばれるお店だとする。

ロボットしかいない高級店を妄想する

注文しようかなと思ってメニューを探したら机の端の方にタッチパネルでお願いしますと書いてある札があって、タッチパネルが充電されて置かれているとする。

もうその時点で、あれ?なんで?という感じになるでしょ。居酒屋だったらいいけどここ高級店だよね?みたいに。

まあ、とりあえず高級店でもタッチパネルで注文する店はあり得るし、すでにあると思うのでここまではとりあえず許容したとする。

注文を女性と一緒にああでもないこうでもないと言いながら決めて、それをポチポチと打ち込むと。なんで高級店で注文を取りにくる手間を省いてんねん!とツッこみたい気持ちを抑えてポチっと送信!

で、女性と話しながら料理を待つわけだ。

しばらくしたら配膳ロボットがこちらに向かってくる。そこには注文した前菜が乗っているのが見える。

そして席の前で止まって、料理をお取りくださいと機械音声で話しかけられるわけだ。仕方がないからちょっとかがんで配膳ロボットから料理をとる。

女性が頼んだ前菜は配膳ロボットの下の方の段にあった。そしたら女性が、あ、私自分で取るからいいよとかがんで取ろうとするわけだ。

それを制止して、いやいや俺が取るから座ってなよと言って俺がとって机に置くと。

おいっ、なんでこんなにこちらが気を遣ってんだよ、人が持ってこいよ!人間が!この店人がいないんかい!

で席を立ってあたりを見回すと配膳ロボットがお店の各所で動いているだけで人が一人もいないことに気付く。

「ああっ」

よそ見をしながら水を飲もうとしたので手を滑らせて水をこぼしてしまった。店員さんを呼ぼうとしたのだが、やはり配膳ロボットしかいない。

ちょっと待てよと思って厨房をのぞいてみるとロボットの動きに合わせてモーター音が静かに響いているだけで人間がいない。

料理はすべてロボットが作っている様子。

で仕方なく席に戻って濡れた上着をハンカチで拭いていると「コチラガホンジツオススメノパスタニナリマス」と機会音声でまた配膳ロボットが料理を持って来る。

テクノロジーが発達するほど人間らしさが重要視されるという逆説

で、こんな状況で食べるパスタって美味いのかい?って話で。好きな女性とそんな店には行きくたないでしょ。

でも、これが普段一人で利用したり仕事の合間の昼飯のために利用する利用単価が低めのお店であったらロボットが運んできてもいい思う、というか実際に実用化されている様子を見て違和感は意外となかった。

高級店になればなるほど配膳ロボットなどは使わないだろう、そもそも高級店が人件費をケチっている様を客にさらすことになるわけで、それはそれでイメージの毀損になるだろうし、高級店ほど店のイメージを大事にするだろうから。

なんでもロボット任せです、楽して経営すること優先です、効率優先です、みたいなメッセージにつながるようなことは戦略としてやらないはずだ。

ただ直接客の目に入らないところでは機械化、ロボット化はどんどんやるだろうしそれはそれでいいと思う。俺が経営者だったらそれはやる。お金をかけるところはかけるでメリハリをつけると思う。

AIやロボットなどのテクノロジーが発達すると、それらができることはやらせておけばよいということになる。

すると逆説的に人間にしかできないことって何なのか?人間らしさって何なのかという命題をいやが応でもつきつけられることになる。

人間らしさが重要視されるようになる。

AIやロボットが絶対にできないことは何か?

AIやロボットは「死」を理解することは絶対にできない。

なぜならAIやロボットは死なないから。

これは同時に「生」を理解できないことを意味している。つまりAIやロボットが極限の状況では役に立たない可能性が高いことを意味している。

というか、人の管理をしたり仕事を教えることなどはできないだろう。リーダーとなって人間のチームを統率することなどできないのだ。

だからこの世の中の仕事がAIやロボットにすべて取られてしまうことはない。ないのだけれど、ある部分の仕事は取られてしまって、さらなる格差の拡大につながる懸念はある。

なので政治的に人間の仕事が少なくなり過ぎないように調整する必要はあるかもしれない。

怖いのはAIを頼りきってしまい、人間が自分の頭で考えることをやめてしまったら、手塚治の火の鳥未来編のようにAIの指示にしたがって核ボタンを押してしまい世界が滅びるような状況になることはあり得るということだ。

今回は妄想が多めになってしまった。

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