小学校3年生か4年生の頃、お爺ちゃんやお婆ちゃんに戦争当時の様子やその時どう思ったかを聞いてくるという宿題があった。
その頃の教育はたぶん左翼的な日教組からの影響が大きかったのか、日本がした戦争は悪でありその戦争をした兵士たちも悪である、というような考え方が浸透していた、ように思う。
そして、アメリカやヨーロッパのしたことが正しく、正義であって戦時の政治家や天皇すらも戦争に対する責任を追求する対象とするような話がまかり通っていたような、そんな雰囲気を子供ながらに感じていた。
叔父から聞いたソ連の話は衝撃的だった
それで、戦争当時の体験談を聞くために、お婆ちゃんの家に行ったのだ。お婆ちゃんは親父のお兄さん、7人兄弟の長男にあたる叔父夫婦と一緒に住んでいてなぜか戦争体験の話を聞こうとしに行った時にお婆ちゃんと一緒に叔父もその場にいたのだ。
ちなみに叔父はギリギリ戦争が終わるか終わらないかくらいに生まれているはずなので戦争をモロに経験した世代ではない。
俺は学校などで、戦時中に日本は酷いことをしてしまったんだよという話を聞いていたのでお婆ちゃんや叔父も戦争のおかげで苦労した、あんな戦争などしなければよかったんだ、みたいな話になるのかと思っていたのだ。
覚えているのは当時を懐かしむように穏やかに、笑いを交えながらお婆ちゃんが話していたことだ。戦争の体験だからと言って神妙な顔でいかにも被害者的な話し方をするわけではなく、ただ記憶にある思い出を、他の思い出を語るのと同じように話していたのが印象に残っている。
飛行機が夜に飛んできて空災警報が鳴り防空壕に潜って飛行機が去っていくのを待った話などを聞いた気がする、その他の内容はほとんど覚えていない。
そして叔父が途中から話に入ってきて、雰囲気が変わったのははっきり覚えている。
叔父は「ソ連の野郎が戦争が終わってからすぐに条約を破って日本に攻めてきてよ、最悪だったんだよ。あいつら最低だよ。」というような話を始めたのだ。
子供の頃の左翼的な歴史観しか知らない当時の俺にとってこの話はかなり衝撃的だった。
ソ連による北方領土侵略
第二次世界大戦の末期、1945年8月6日に広島、続いて8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、日本の敗戦が濃厚となっていた。
その8月9日、日ソ中立条約がまだ有効だったにも関わらずソ連は対日参戦を表明、日本に対して宣戦布告し、ワシレフスキー将軍率いる160万人のソ連極東軍がソ連と満州の国境、モンゴル、ウラジオストク、ハバロフスクの3方から総攻撃を開始。
中立条約はあっさり破られたのだ。
8月11日に樺太でバーツロフ大将の率いる35000人が北緯50度の国境を超えて日本軍20000人と戦闘となった。
そして8月14日に日本はポツダム宣言を受諾し敗戦が決定し終戦を迎えた。しかしソ連軍は日本に対する攻撃を継続する。
8月16日にグネチコ将軍が率いるソ連軍がカムチャッカから行動を開始し8月18日に占守島(しゅむしゅとう)に上陸。25000人の日本守備隊と交戦している。8月23日に日ソ両軍現地停戦協定を締結し武器をソ連軍に引き渡した。
8月28日から択捉島に上陸し、9月1日までに国後島、色丹島を占拠。9月3日までの間に歯舞諸島に上陸し9月5日までに北方領土を全島を不法占拠。
外務省のサイトには「これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました」との記述があるが四島に攻め込んでくる前に日本とソ連は交戦している。
そして日本人捕虜60万人がシベリアへ抑留され、そのうち約6万人がなんらなかの理由で亡くなっている。このような歴史を叔父は全てではないかもしれないが、知っていたのだろう。

ロシアは約束を破るために約束をする
グレンコ・アンドリーの著作「ロシアのウクライナ侵略で問われる日本の覚悟」の中に「ロシアは約束を破るために約束をする」とはっきり書かれている。
あまりにもはっきり、わかりやすい表現で書かれていて清さすら感じてしまうのだが、ロシアは平和的な条約を結んで相手国を油断させておいてから、条約を破って攻撃を始めるようなことは歴史上繰り返していて、日ソ中立条約を結んでいたにもかかわらず北方領土に攻め込んできたのはその最たるものだとのこと。
俺も含めて日本人はロシア人も人間なのだから言えばわかる、説得すれば分かり合えるはずだと思いがちだが、現実はそうではないようだ。少なくとも過去の歴史において日本は騙されたという事実がある。
北方領土については安倍晋三がプーチンを招いて接待して、せめて2島を返還して、みたいな話もしていたようだが、プーチンは過去にいっさい2島の返還をする話すらしていないし、ましてや4島の返還をするつもりなど全くないのだ。
ロシアとは昔からそういう国だったと認識して付き合っていかなければならない、そういうことなのだろう。
そして、叔父は40年近く前にそれをすでに知っていて小学生だった俺に教えようとしていたのだ、おそらく。
ウクライナ侵攻が始まって以来このエピソードをよく思い出す。ロシアは外交上かなりのリスクを伴うものとして警戒すべき相手なのだろう。