5月8日から新型コロナは5類になったわけで、それでもマスクをみんな一斉に外すようなことにはならないことはわかっていた。
わかっていたんだけど、外を歩いていてふと見回すとマスクをしてないの俺だけじゃね?という感じの場面もかなりあって、そんなに頑なにマスクなんか付けなくてもいいのになと思いつつ人混みを通り抜けている。
でも、さすがにお祭りの雰囲気が盛り上がってくるとマスクを外す人は多くなる。
日本ではマスク着用が法的に強制されたことはない
浅草の三社祭の前の日の夜、買い物の用事があってたまたまホッピー通りを歩いたのだけど前夜祭状態で通り沿いのお店は大盛況、まあまあの人が通りを練り歩いていた。
そして、居酒屋で飲んでいる人はもちろんマスクなどしているわけがないのだけど、通りを歩いている人も感覚でだが8割以上がマスクをしていなかった。
居酒屋さんの店員さんはお店の決まりなのか気を遣ってなのかマスクをしている人が多い。本当は店員さんもしなくてよいのだけどね、あくまで個人の判断なので。
一応、厚労省の言っていることを確認すると、マスクの着用については「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることを基本。一定の場合にはマスク着用を推奨」とのこと。
以前から言っていることの繰り返しにはなるが、この日本でマスクの着用が義務化されたことはない。
コロナ騒動が始まってから今の今までずっと、ずーっとマスクの着用は個人の判断に委ねられていた。
これが欧米のように法的に強制したような状況であれば、するしかないのだろう。そしてマスクの着用によって自由や人権の侵害があるとなった場合は法律を執行した政治において責任をとっていくのだろう。
しかし、日本はどうかというとマスクの着用は法的に決められたわけではなく、あくまで厚労省などから推奨されていただけだ。
この場合、自由や人権の侵害があったとしても、政府が言うセリフは「あなた方国民が個人の判断でやったことなので私たちには責任はありませんよ」ということになる。
まあ、その通りだ、マスクの着用について人権の侵害的なことがあったとしても政府の責任など問うことは不可能だろう。
法的に強制など一切していないのだから。
世間の空気、雰囲気に従う「個」の意思のなさは怖いが脱マスクは歓迎!
話を元に戻すが、お祭りの雰囲気が盛り上がってくるとマスクを外す人は自然と多くなった。
そして三社祭当日はと言うと



ニュースの映像を見てもわかる通り、神輿をわっしょいわっしょい担いでいる人たちはほぼ99%マスクをしていない状態。
もし、コロナ感染は飛沫感染がメインだと信じているとしたら、普段はマスクをつけるのにこの神輿を担ぐ日はしていないというのはおかしい。
わっしょいわっしょい言いながら人々が密着した状態で叫びまくるのだから。
普段、マスクを着用しているがこの三社祭ではまったく着用しなかったという人は多いはずだ。
結局、その場の雰囲気で付けたり外したりしているに過ぎない人がほとんどなのだ。
祭りが終わればまたマスクマンに戻る人も多くいる。
それがいいとか悪いとかではないのだが、世間の雰囲気に流されて個人としての考えがあまりない人が多いのだなというのがわかってそれがちょっと怖いとは感じてしまう。
先の大戦で、欲しがりません勝つまでは、一億玉砕!を叫んでいた人達はそういった雰囲気に流されていた人が多かったのだろうと思う。
ただ、マスクはなるべく外す方向で考えていったほうが良いだろうとは思っているので脱マスクは歓迎したい。
マスクをガッチリしたままではコミュニケーションが取りづらいのは否めないし、大人がもっと率先して外していかないと子供達も外さないだろうし、子供がマスクをするのは酸素不足を招くし心と身体の発達に悪影響だろう。
そもそも、もう5類なのだし晴れてただの風邪レベルの感染症に認定されたコロナに対してもう3年以上マスクをしてきたわけだが、感染予防効果はなかったわけで。
これ言い始めるとほんと毎回愚痴っぽくなってしまうのだが、いまだにマスク着用者が群れをなしているのを見ると本当に情けない気持ちになると言うか悲しくなると言うか、日本人は本当に大丈夫なのだろうかと思ってしまう。