日本というマスク村の同調圧力〜5類に落とされるのはいいがマスク着用をどうするかって…なんだろ?〜

ようやくコロナの感染症としての扱いを5類にすると決まった、らしい。

5類に落ちるのはいいのだけど、なぜかマスクの着用をどうするかが議論されている。

頭の中に?マークが点灯してしまった。

なぜなら、マスクの着用をどうするかなんて今現在も本人の意思にゆだねられていてこの国では法的にマスクの着用をしなければならないという決まりになったことがないからだ。

このコロナ騒動が始まってから一度もマスク着用が義務になったことはない。

ただ、日本マスク村の同調圧力でしなければならない「雰囲気」になっているだけだ。

その証拠に満員電車にノーマスクで乗っても駅員は何も言ってこない。

ノーマスクで交番の前を通っても警察官は何も言ってこない、この日本でノーマスクが理由で手錠をかけられたやつがいるのか?いるわけないでしょ…。

決まりにもなっていないことに対して、なぜマスクの着用が今まで義務だったかのような議論が始まってしまうのか?ものすごく違和感を感じている。

俺はもう馬鹿らしすぎて、プライベートの時間帯は一切マスクはしていない、満員電車でも。電車で過去にクラスターなど起きたことはない。黙って乗車しているだけで何が感染するのだ?会社でも黙って事務仕事をしている時はマスクを外している。そして、それは俺だけではない。このマスクだらけの状況は異常だとわかっている人はわかっているのだ。

マスクをしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。それだけだ。

先日、足立区のひよこのカフェというマスクフリーのお店にまた行ってきた。

すごく落ち着く。

マックだろうがサンマルクだろうがスタバだろうがノーマスクで利用しているので関係ないと言えば関係ないのだけど、やはりたまにノーマスクの俺の顔を見てくるやつはいる、女性でも睨んでくる人もいたよ…。

だから、やはりマスクフリーとお店が宣言してくれていることがとてもありがたい。

本当は、今すぐにでも多くの日本人がその気になればいつでもマスクフリーは実現できるはずなのだけど90%以上の日本人がこの強すぎる同調圧力に抗えないのだ。

この国には自由があるようで、ない。村社会的な同調圧力に日本の隅から隅まで覆われてしまっている。

そして、自由が奪われているということに気付いてすらいない鈍感な人がいる、日本全体が呪われていると言ってもいい。自分達で自分達の首を絞めて、それに気づかない、気付いても変えようとしない、変わろうとしないという異常な状態だ。

より良い人生を送るために自分の権利を主張することができるのだということにもっと多くの日本人が気づいてほしい。

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