12月4日に都内某所で小林よしのり主催のゴー宣道場が開催された。テーマは「2022年はドツボだった、明日はどっちだ?」
元国会議員の菅野志桜里さん(旧性 山尾さん)も登壇された。菅野さんの話の中で特に印象に残った部分があるので書いておきたい。
国際法をもとに裁くのは日本の役目ではないかと菅野志桜里さんが言っていた
ロシアがウクライナ侵攻する際にブチャなどで一般人のウクライナ女性をレイプしているという事実が国連の会合などでも取り上げられている。
ネットを調べると、目を背けたくなるような、読んでいて不快になる記事が並んでいる。
「兵士3人で16歳をレイプした」“ロシア兵音声”公開 深刻化する性暴力
よしりんもウクライナ戦争論でこれらについて取り上げていて、21世紀に入って20年以上経過した現代でもこんなことが起きていることが信じられなかったがこのような戦争犯罪がロシア兵によって繰り広げられているのは事実のようだ。

中国が台湾あるいは日本に侵攻する可能性はゼロではない。アジア圏でもウクライナで起きているような戦争犯罪が将来、起きてしまう可能性はある。菅野志桜里さんはそのようなことが起きた時に、ある程度の経済的、軍事的な力を持っていてかつ人道的、人権的な裁きができるのはアジア圏では日本しかないだろうという発言をしていた。
すごいことを考えているなと思ってしまった。
しかし言われてみれば確かにバランスのとれた民主主義が成立していてある程度国力があるとしたら日本なのかなと思うが、でも今の日本人にその役割を果たそうとするだけの胆力や責任感のある人がそんなに多くいるのかどうか、あやしいとも思ってしまった。そして現在の日本は民主主義的かもしれないが「世間」というものが法律を凌駕して人々の行動を制限していることがこのコロナ騒動で明らかになってしまった、そんな中途半端な民主主義国家だ。
経済的に見ても先進国の中でも一人負け状態で国際的な影響力もどんどん小さくなっているというのも事実だ。
今後、そんな日本が世界に向けてその存在感を増していくためのひとつの考え方としてアジア圏における国際法の中心的な存在になるという考えは、ハードルは低くはないが、すばらしい考え方だ。
特に日本は敵国を攻撃する軍事的能力はない状態でもちろん核兵器も保持していない。このような国が国防を考えるときに国際法による秩序を各国が保つことを世界共通の理解としていくことは重要なことなのでその国際法のアジア圏の中心になるということは戦争の抑止力にも直結するはずだ。
俺も国際法について少し勉強してみようかな…。