ウクライナ侵攻が始まって以来、ウクライナの歴史について勉強してみたりロシアの最近の動きに関する情報などを自分なりに調べている。
時間がないのでそんなに大量の本を読めるわけではないのだが、ネットやテレビやSNSの情報ではない紙媒体の情報も重視しているので時間を見つけて気になったタイトルの本に目を通している。
紙媒体の情報は校閲が入ることや、文字として残るため慎重に書かれたものが多いと思っている。無責任な芸能人や知ったかぶりのキャスターが放言しほうだいのテレビとは違う。
と言いつつ、本ではなくAmazonで2018年に制作されたドキュメンタリー「アメリカが最も恐れた男”プーチン”」を観たりもしているわけだが、このドキュメンタリーには衝撃を受けてしまった。
今までプーチンについて、ほとんど何も知らなかったんだなということに気付いた。彼は危険な人間だ、思っている以上に危険だ。「プーチンの正体」の著者である軍事ジャーナリストの黒井文太郎はヒトラーと同質であると指摘している。俺や多くの日本人が知らないだけで人間としておかしな兆候は以前からあり、時間の経過とともにその醜悪さを増しているのだ。
では、プーチンによる殺戮の黒歴史を見ていくことにしたい。
プーチンの人命軽視は大統領就任直後からみられた
プーチンは1999年に首相に任命されるとすぐにチェチェンに侵攻している。その攻撃は一般人もろとも町村を無差別攻撃するもので、それを10年続けた。
この侵攻により強い指導力をアピールした彼は2000年3月26日に他のベテラン候補を引き離して大統領に当選する。
後にチェチェン侵攻の理由となったチェチェン独立派によるものと言われているマンション爆破事件が実はロシアのKGBの後継組織であるFSBによって企てられたのではないかという疑惑が持ち上がる。
あるマンションに爆薬を仕掛けた男女が捕まった。その爆薬はロシア当局しか扱うことのできないものだったとの情報があがっている。これが事実であればチェチェン独立派のテロと見せかけてFSBおよびプーチンが裏で手を引いていた可能性がある。しかし真実はいまだにわかっていない。
プーチンが大統領に就任してすぐに原子力潜水艦クルスクの爆発事故があり乗組員のうち95人は即死したが23人の生存者がいた。弱体化したソ連軍に救出する能力はなく欧米への協力を要請する必要があったがプーチンはかつての敵国へ協力要請することを最初は嫌がった。

そうこうしているうちに時間だけが過ぎ、結局協力要請することになったが、時すでに遅し、残りの乗組員は亡くなってしまっていた。
この時に会見を開いたプーチンは亡くなった乗組員の母親からえらい剣幕で怒鳴られる。「あなたは何をやってたんだ、あなたも人の親でしょ気持ちがわからないのか!」
この様子はロシアのニュースなどでテレビ放映されたようだが、弱々しく困ったような表情のプーチンが映し出されている。
この会見のあと、プーチンは激怒していたとのこと。まあ、激怒すること自体がおかしいのだが…。普通の感覚の人間であれば対応が遅れて23人の若い兵士が命を落としてしまったにもかかわらず、その母親に責められたり、それをテレビで流されたことを怒るだろうか。
自分自身を省みることのできる人間であれば、激怒するということなどないだろう。むしろ、自分の判断の甘さを猛省するのではないか?
子供達334人を犠牲にしてもよかったのか?
そして2004年にチェチェン独立派の武装勢力の立てこもり占拠事件が起きる。テロリスト達はロシアの小学校に立てこもって子供達を人質にとった。
立てこもりが始まってから3日後にプーチンはロシア軍にテロリストへの攻撃を指示する。もちろん子供達が巻き添えになることは火を見るよりも明らか。
結果的にテロリスト達を一掃することはできたが334人の子供達が犠牲となった。
俺は首をかしげてしまった。人質として小学生が何百人もいるのに、立てこもってから3日後に攻撃を開始するものなのだろうか。もっと交渉する必要があったのではないだろうか。334人の子供達が亡くなってしまったのであればテロリストと同等のことをやらかしてしまったとも言えないだろうか。

後から文句を言うのは簡単だと言われてしまうかもしれないが、この一件を見て、プーチンはテロリストに屈しない凄いやつだ、のような発言をしている人を見ると、そんなに単純な話でもないのではないかと言いたくなる。
もっと違う解決方法があったのではないか?
たまに文化人などが、プーチンは絶対に妥協しないやつだ、小学校に立てこもったテロリストを子供達もろとも一掃してしまった、そいうやつだ、というようなことを言っているがプーチンはすごいやつだと祭り上げるプーチンの太鼓持ちなのだろうか?それだけを取り上げて言ってみることに何か意味があるのだろうか?不思議に思う。
プーチンに批判的な人物を次々に暗殺
この占拠事件についてロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤは政府の陰謀であると唱えプーチンに批判的な記事を書いていた。彼女は占拠事件の現地に向かう飛行機上で毒を盛られて入院を強いられた。一命はとりとめたものの取材に行くことはできなくなってしまった。
その後も彼女は屈せず占拠事件におけるFSBの役割を調べ続けた。「確信がある、私は己の良心に従って生きている」と述べていたが、2006年プーチンの誕生日に自宅のエレベーター内で射殺されてしまう。

関与を疑われたプーチンはこう答えているそうだ、「大した人物でもないのに殺す必要がある?」「ポリトコフスカヤは殺すだけの価値がない」と。
2018年4月12日にはマクシム・ボロジンという人物が変死している。ニュースサイト「ノービ・デン」の記者だったがアパート5階の自室から転落し入院先の病院で3日後に死亡している。友人の一人が転落する前日の午前5時にボロジン本人からバルコニーに銃を持った人がいて階段にマスクを被り迷彩服を来た人間がいるという話を電話を受けていた。
ボロジンはその当時ロシアの民間軍事会社「ワグナー・グループ」についての記事を書いていた。この民間の軍事会社はロシア正規軍が表面上は活動していないことになっている地域で軍の情報機関である参謀本部情報総局(GRU)の作戦を行うダミー組織として存在している。シリアのアサド政権とともに地上戦を担当させるためにワグナー・グループの傭兵が投入されたり2014年のウクライナ紛争にも進出していてウクライナでも表向きはロシア軍は活動していないことになっていたため裏でこのような部隊を使っていたということだ。
プーチンとしてはワグナー・グループの動向について追求されることは、とても都合が悪い。ボロジンは消された可能性が高いのだが、ロシア当局によって暗殺されたという証拠はいまのところあがっていないようだ。
エリツィン時代も含めて1993年以降2018年までにロシアで殺害されたジャーナリストは58人にのぼっていた。西側諸国や日本などの民主主義国家で認められている自由な報道がロシアではまったく機能していないことは間違いない。ロシアではジャーナリストがまともに活動できないのだ。