ウクライナの状況からナショナリズムを考えてみる

ナショナリズムとは?

ナショナリズムというのは日本語で言うと国家主義とか国民主義と訳される。

今まさにウクライナ・ナショナリズムの歴史を週刊SPAの連載で描いている漫画家の小林よしのりは、ナショナリズムに基づくインターナショナル、つまり「国際化」とグローバリズムは区別されるべきと言っている。

グローバリズムは全球主義などと訳されるようだが国境を越えると言うかその境界が無いかのように振る舞う考え方で、聞こえは良いが特定のグローバル企業に利益が集中して、しかも人々の生活の根幹にまで影響をあたえてしまうほどの力を持たせてしまう。

金融資本主義との合わせ技で一部分のグローバル企業にあり得ないくらいの富が集中して、とんでもない格差の拡大が現れ、一部のプラットフォーマーが人々の殺生与奪までをコントロールできるようなところまできてしまった。

あまりに行き過ぎている。

また、グローバリズムはその国に必ずしも調和するとは限らないルールや規制を押し付けてその国柄までを破壊してしまうこともある。

だからこそ小林よしのりはグローバリズムではなくインターナショナルをとなえる。

国家単位で独立して、国家間でお互いの国の価値観を尊重し合う方がよいのではないかと。

もちろん経済的にも国家を超えたグローバル企業が世界の市場を独占するような形でもなく、グローバルな分業を必要以上に押し進めるでもなく、国家の安全保障に影響しないように国内企業で農業も特殊な技術が必要な分野の工業もまかなえる状態にしておいた方がよいのではないか、というようなことを以前から言っている。

ナショナリズムと言うと、そのイメージはなにか右翼的な響きがあるかもしれないがそうではなくて、むしろグローバリズムよりも人々に優しいインターナショナルにつながるものであると考えることもできる。

とりあえずナショナリズム=悪のイデオロギーというイメージは短絡的だと指摘しておきたい。

戦争はナショナリズムを高揚させる

サッカーのワールドカップ予選でウクライナがスコットランドに快勝した。

ロシアとの戦争に突入してから3ヶ月程度が経過して戦況としてはウクライナにとって良い状態とは言えない。

東部の土地がロシアに抑えられてしまっている。

世界中の国々がウクライナをサポートしているので戦力は拮抗してはいるのだと思うが、やはりロシア国境と接する東部は押され気味だ。

戦うウクライナ人の象徴としてウクライナ代表選手がサッカーの試合で活躍している。

いまウクライナ人はサッカー選手の試合での勝利をロシアとの戦争の勝利への願いと重ねて見ているだろう。

正直、俺もウクライナを応援してしまう。

どうしてもロシアとの戦争に重ねて見てしまう自分がいる。

ロシアの侵略行為は間違っている、正当性がない、俺もウクライナ人と同様にロシアの行為に憤りを感じている。

戦争はナショナリズムを高揚させる。

戦う大義がある側の国はウクライナだ、この戦争に負けられない思いは強いだろう。

このナショナリズムの高揚は悪だろうか?

俺はそうは思わない、国際秩序を乱しているロシアと戦うために必要なものだ。

ロシア側もナショナリズムをエネルギーに変換して戦っている?のだろうか。

それは違うと言っておきたい、あれはプーチンによる独裁国家のファシズムだ。

ただし、ファシズムも独裁者が善人であれば良い国家になる可能性はあるのだが。

本来、悲壮感が漂うほどの国家間の戦争がそこで起きている最中なのに代表選手の勝利に歓喜して大声をあげているウクライナ人を見ていると人間の持つ強さというか生命力というか、わけのわからないエネルギーに圧倒されてしまう。

国家のため、国際秩序のために死をも恐れずに戦うウクライナ人達に賛辞を送りたい。

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